Seminar reportセミナーレポート
IPSG Scientific Meeting 2015 レポート③
IPSG代表 稲葉繁先生『わたしの臨床50年を振り返って』
- IPSG学術大会
IPSG代表、稲葉繁先生の講演です。
『わたしの臨床50年を振り返って』
1964年の日本は戦後の経済成長と東京オリンピックの開催で沸き返っていました。
そんな時、稲葉先生は歯科医師として歩み始めました。
当時の日本の歯科医療は発展途上でした。
卒業後、国家試験に合格はしたものの、あまりに歯科医療が徒弟制度的で興味が持てなかったので、大学院に進み学問的で理論的な勉強をしてみたいと考えました。
1966年ころに保母須弥也先生がアメリカから帰国され、メタルボンドが日本に紹介されました。
同時にナソロジーが衝撃的にデヴューし、ラウリッツェン、スチュアート、ピーター・K・トーマス、ギシェーらの各先生が研修を行いアメリカとの差をまざまざと見せつけられました。
そのころから稲葉先生は歯科医療の在り方を見つめなおし、常に歯科医療により全身の健康保持には重要な一部門であることを深く考えるようになりました。
丁度その頃、この度の特別講演をして下さる桑田正博先生がアメリカで活躍されている噂が流されてきました。
先生はメタルボンドポーセレンの開発者であると同時に、前記の先生方と仕事をされると同時に、世界各地で講師として研修をされ、指導者として日本の歯科界を牽引されている方です。
この当時、稲葉先生はナソロジーを徹底的に学びました。
その後、1978年にドイツのチュービンゲン大学に留学し、アメリカにはないテレスコープシステムに代表されるドイツ式補綴を覚え、また顎関節症の治療方法を会得してきました。
それから現在まで、約50年多くの患者様の治療に取り組んできました。
こちらは、稲葉先生が当時チュービンゲン大学の学生達に講義したスライドです。
『咬合面は地図である』
咬合面の谷や山には、すべて意味があります。
咬合面の8つの要素、そしてワックスコーンテクニックは、歯科医師、歯科技工士の共通の大切な知識です。
稲葉先生は、当時日本から離れ、世界中の歯科の巨匠から沢山の事を学んできました。
若いドクター達に伝えたい事は・・・
『日本の歯科医療がトップだと思っていてはいけない。世界から立ち後れている事は多々あり、常に海外にアンテナを張る必要があります。これからは、英語を学び、海外の情報をしっかり得ることが大切です。私は、ドイツに住んでいた事で、ドイツ人の考え方、生き方を学ぶ事ができました。若い先生方はこれから、チャンスを掴んでいただきたいと思います。』